男は吊られ候へども、争ひには御座なく候。片足は湿りたる土に深く根を張る、古く生きたる丈夫なる樹の枝に取られ候。頭を下へ向けて揺れ、腕は背にあり、穏やかなる光輪が眉を囲み候。向きを転じたる世を眺め、地は上に、空は下に、息は一つずつ急がず候。静けさは男の周りに厚く育ち候へども、この稀なる見晴らしより、見慣れたるものは神秘と成り候。かつて明らかと見えしものは、朝の霧に触れられしやうに、静かに開き候。
他所、人混みより遠き岸の入江にて、潮は退き、石の群、半ば埋もれし沙の銭貝、浅き水に揺れる昆布の床を明かし候。この地は宝の名を負ひ候。その宝は、山の雪解の下流、川床より撈る石、中海緑の藍柱石に御座候。昔、鉱夫は肺と手を危険に晒し、これらの緑柱石の結晶を地より持ち上げ候き。透き通りたる揺らめきが、身に着くる者へ澄みをもたらすと信じ候き。商人はそれらを天鵞絨の布の上に並べ、それぞれの宝玉は触れれば涼しく、隠れたるものと明かされたるものとの線を辿り候き。
厨にて、誰かは一日の半ばに休らひ、岸の町より持ち帰りし硝子の皿を持ち候。重く、厚き畝あり、手にて吹かれ、風の水の上なる如き波紋の模様が御座候。流しにて洗ふとき、四月の最初の日光を受け、卓の上へ淡く震へたる形を散らし候。この硝子器は、潮の如く忍耐ある職人の手にて、開きし炎の上に形作られ、川が海と会ふ地より世代を経て伝はり候き。これを用ふるは、速度を落とし、瞬間に気づき、注意の移りにより常のものが際立つに任すことに候。
喀爾巴阡の高地を過ぐる旅人は、藍柱石を船人が安全なる渡海のために携へしといふ古き物語を思ひ出だし候。ここなる山の流れは苔と地衣に縁取られ、頭上の空は春の驟雨を脅かし候。雨の降るとき、柔らかく降り、景色の上に帳を引き、丘は古き水の記憶にて筋を引かれ候。毛氈の外套の牧人は廂の下へ入りて待ち、嵐の後に続く沈黙を聞き候。静けさにて候へども、世は眠りには御座なく候。変はりは沈黙の中に起こり、浸りたる地にて根は深まり候。
家にて、庭を守る者は小さき翡翠の厚葉を窓辺に置き、その膨らみたる葉は光を受け候。静かなる瞬間に、誰かは甘く熟れし蜜瓜の鉢の上に滞り、氷箱にて冷えたるそれを一口ずつ味はひ候。風雨に晒されし廂にて、老いたる漁る人は網を繕ひ、水が空と下なる世のあひだに吊られて見ゆる、澄みたる日の海の中海緑を思ひ出だし候。いづれにも属せず、穏やかに吊されて候。
今日、人は冷き水にて手を洗ひ、瞬間の澄みを感じるために休らひ候。愛しき硝子の皿を清め、日に干して、一日の光を受くるを見候。流れの近くを歩くあひだに止まり、柔らかき奔りを聞き、表面の下に休らふものに気づき候。あるいはただ、杯、貝、石など器物の上下を入れ替へ、見慣れたるものを静かに変はりたる見方より見ることを自らに許し候。
今日の色は中海緑に御座候。
Lucky Color: MediumAquaMarine — #66CDAA静かなるものへ向かへば、それは新しき世界を明かし候。