犬は、縁より一歩のところにありたる旅人の踵を噛み候。負袋は揺れ候。されど路は半ばのみ形づくられ、路の最初の石は旅人の足の下にて瞬きて消ゆ候。羽は、軽さの響きにて耳の後にあり候。されど風は落ち着かず、最初に感じたるより重く候。下の群衆は見えず、崖の終りは噂に候。これは跳躍が着地を追ひ越す瞬間に候。
古き物語にて、確かさより外れたる最初の一歩は、しばしば井戸へ導き候。深く響き、隠れたる水の年月にて滑らかにされたる石に縁取られ候。寓話は坑とその静けさとを警告し、日の光は断たれ、声は己へ戻りて鳴り候。旅人はかつて、深さをはかるために銭あるいは小石を井戸へ投げ候き。時に銭は音無く消え、時に音を立てて、失はれたる指輪と忘れたる鍵との間に落ち着き候き。その下には、春を待つ種子、沈黙を隠れ家とする根、夜明けを憂へざる生き物の秘かな眠りの御座候。
村より遠く、雨と時との緩き辛抱より成る洞窟の御座候。口は絡みたる根の下、あるいは苔むす岩の後ろに開き候。あるものは澄みを求めて静けさを求めし僧を保ち、ほかのものは盗賊に獲物を数ふる場を供し候き。これらの空洞の気は涼しく動かず、土と、古き火と、一つの問ひを以て入り、しばしば別の問ひを以て去りたる足音の記憶との香を保ち候。入るは、不確かさに同意すること、背に丘の脈を感じること、日の届かざるところを動く水を聴くことに候。
厨には、手にて滑らかに磨かれたる石、香辛と穀とを碾く乳鉢、一夜生地を醗す鉢の御座候。麺麭は静かな刻に膨らみ、吹き通しを防ぎて覆はれ候。時の重き鋳鉄の鍋は、煮えるにつれ味の変はる煮込みを保ち、蓋は世に対して閉ぢ候。同じ静かな力は、密なる布を通る針を定め、縫ひ目は記憶を保ち、裂けたるものを繕ひ候。必要を以て、習慣に非ずして、手の伸びるまで、見えないところにて待つあらゆる道具には、辛抱の織り込まれ候。
海岸にて、夜明けは時に地平を呑む空模様を運び候。漁船は繋ぎ、変はりを待ち、網は巻かれ、灯は鎮まり候。世は籠もり、輪郭は和らぎ、海の声のみが明らかなるものに候。気は近く圧し、次に来たるものを約束することを拒み候。何里も歩く者のために、戸に掛けたる外套は、吹き入る突風を遮り候。内にて、墨は頁の上を流れ、嵐と嵐との間の静けさに生まれたる告げを運び候。
貴殿は最も近き井戸へ石を落とし、響きの戻るまでの間、聴くことも候。古き乳鉢を見いだし、種子を碾き、緩き手の力を思ひ出すごとも候。重き鍋にて扁豆を煮、刻がその味を変ふるに任すことも候。あるいは厚き空模様の落ち着きたるとき、窓を開き、思ひをその中へ動かし、暗き中の根の如く辛抱強くあることも候。
今日の色は黒に御座候。
Lucky Color: Black — #000000地の見えざるときに軽く歩み、音の変はりて戻るところを聴き候。