月の帳を掛けらるるとき、川岸に沿ふ世界はその輪郭を失ひ候。ここにて、古き牌の犬と狼とは、かつてそれぞれの位置にて明らかにも、今は霧の中を一つの形として動き、小道の踏み固められたる土の上を静かに歩み候。葦は風に伏し、水の面は通常は映りにて斑なれども、鈍く読み得ず候。夜は深まり、道は狭まり、確実にあらずして石の低き影に縁取られ候。その影の色は薄墨に御座候。
荒野を横切る古き道は、幾世紀も前に知らぬ手にて敷かれ、多くの旅する者の跡を帯び候。移ろふ天候にて、地は水を含み、靴は印を残せども霧は入り込み、新しき跡さえ暈け候。群れを動かす羊飼は、見えることの縁にて停まり、石の間に羊の形を探し候。町にて、石板の屋根が家を霧雨より護り、瓦は絶ゆる雨にて濡れ、その面は嵐の記憶を受けて保ち候。気は濡れたる羊毛と、炉の煙と、近き湿りとともに来る腐りの始まりとの匂ひを持ち候。
炉端に語らるる話にて、男らは坑を記憶し候。丘の腹へ切られたる竪坑にて、昼の光は常に後に残され候。坑道の壁は木と鉄とにて支えられ、槌の打ちと塵の柔らかき落ちとを響かせ候。暗がりの中にて、時は錫の弁当の缶の音、工人の外套の重み、手首に輪にしたる手拭にて量られ候。物の一つ一つは荷とも盾ともなり、視覚が噂に過ぎぬ暗き中にて着られ、頼まれ候。交代の終はるとき、坑夫は開けたる気へ踏み出し、瞬き、上の世界は雲の下の沈黙せる海に御座候。
岸にて、風雨にさらされた敷石が港に並び、雨の後の塩水にて滑り候。漁人は伏せたる桶の上にて網を繕ひ、手は染まり、指の節は擦られ、潮について低き声にて語り候。波止場の傍らの倉は戸を閉ぢ、その扉は多くの冬の塩にて重く候。内にて、保存したる魚の樽と道具の箱とが、整然として屈せぬ順序に積まれ、一つ一つが使用と時との印を帯び候。隅にて、縄の輪が待ち、麻と忍耐との匂ひを持ち候。
夜明けの厨の内にて、鋳鉄の薬缶が竈の上に置かれ、最初の茶の一杯が注がるるとき、窓は光に対する形のみを示し候。炉の石は、幾代の靴と室内履とにて滑らかに磨かれ、朝の温もりを保ち候。椅子の上に投げたる毛の毛布は、幾年の繕ひにて斑となり、季節を通じてこれを継ぎ洗ひし手の記憶に御座候。卓にて麺麭は切られ、屑はかかる朝を多く見てきた皿の上へ払はれ候。
霧の低く掛かるとき、人は古き道を歩き、苔に覆はれたる里程標の文字を辿りて停まることも候。貴殿は灯を点じて窓に置き、あるいはかかる夕を多く経たる外套に身を包み候へ。鉄の灯の輝きにて文を書き、あるいは静けさへ踏み入るとき、庭の壁の涼しき石へ掌を押し候へ。小さき仕草の一つ一つが、夜に耐へるために建てられたる物の確かさを呼び返し候。
今日の色は薄墨に御座候。
Lucky Color: DimGray — #696969世界は暈くるも、暗き中に忠なる形は残り、静かな一時がすべての帰路を記憶し候。