牌は下を見、淡き銭は見えぬ息に暈け候。道の両側にて沈黙の番をする塔は、今はぼんやりとし、縁の和らぎたる番人に御座候。両者の間にて、泥の道は風景を曲り、足と爪との馴染みなる印は互いに溶け候。夜は戻りたれども、鋭き対照を伴はず候。晩春の霧の後に降りる静けさに包まれて来たり、梟の呼びさえ鈍り、水の縁の犬と狼とは、常に同じ名を分ちたるかのごとく候。
果樹の咲く早き夜明けの田園が御座候。気は花弁の香にて厚く候。風が川より漂ふとき、古き攀ぢ薔薇に着く湿りを運び、その花は杯のごとく重く、一つ一つの花が、決して十分には明るくならぬ朝の襞に保たれたる、色の短き息に御座候。その色は霞桃に御座候。園丁はかつて日の前にこれらの花を集め、草の上の茶のために広げたる、刺繍のある亜麻の上に置き候き。その布は、朝食の前に出て花弁より露を引く薬草採りの記憶を縫ひ候。厨にて、薔薇の露は小さき硝子の瓶へ注がれ、手首と襟とに刷く微かなる香、消えし庭の記憶に候き。
それらの厨の窓より遠くなく、霧は海より入り込み、交易の港と魚の市の上へ降り候。ある朝、霧は岸壁の縁を晦ますほどに厚く、陸と水との線を暈けさせ候き。麺麭を焼く者は、いかなる鐘よりも前に起き、手に粉をまぶし、朝の塊へ折り込み候き。洗ひて日に干したる前掛は戸の傍らに掛かり、温もりの滓と、幾年の穏かな洗濯とにて柔らかく候き。漁人は家へ帰り、手は漁を涼しく保つために布を敷きたる籠を握り候。その布は、妻が碾きたる種と蜂蜜とより形づくり、外に霧のなほ残るうちに食べる扁桃の菓子と同じ色合に候き。
古き絹の道に沿ひて、商人は干したる薔薇の花弁と、紡ぎたる砂糖とを小さき菓子に詰め、長き渡りを支えるために携へ候き。彼らは菓子を紙の薄きものに包み、夜明けに幕屋へ時に入り込む湿りたる気より護り候き。家の記憶は彼らと旅し、衿巻と袖とに着く香にて、異郷の月の下の眠りの夢に対する慰めに候き。他の土地にて、北方の家の長女は刺繍を学び、花弁と巻く蔓とを薄木綿の四角へ辿り、時とともに洗礼の衣へ縫はれ、幾代のために仕舞はれ候き。
今夜、貴殿は庭より薔薇の花弁を集め、寝台の傍らの浅き鉢へ散らすもよしと存じ候。好む書の下に押したる亜麻の四角は、忘れたる花の最も微かなる記憶を保ち候。薔薇の露あるいは蜂蜜の一滴を夕の茶へ攪拌り、あるいは最後の足音が霧の中へ消えるを聴くうち、柔らかき布の上に手を休ませ候へ。沈黙の中にて、定かならぬ夜を過ぐる道は、貴殿の与ふる名のみを供し、近く保たるる物の穏かな慰めを供し候。
今日の色は霞桃に御座候。
Lucky Color: MistyRose — #FFE4E1夜明け前の静けさと、掌に持つ花の温もりとに御座候。